◇学童保育のはじまり
東京の学童保育のはじまりは、昭和27年に、北区にある民間の保育園で、
卒園した児童を父母と園で世話したことにはじまります。
昭和38年(1963年)発行の『児童白書』(厚生省)の「子どもは危機的段階にある」
を受けて都市部を中心に、各地で学童保育事業が進みます。
練馬区でも昭和39年に、教育委員会が、練馬区における鍵っ子の実態調査を実施し、
翌昭和40年(1965年)に3カ所で学童保育を開始しました。
練馬の学童保育事業のはじまりは、昭和40年(1965年)にさかのぼるのです。
当初は「練馬区学童保育事業実施要項」に基づく事業として、
また指導員の身分も非常勤職員でした。それが、昭和47年に職員が正規職員化され、
平成2年4月からは「練馬区立学童クラブ条例」が施行になり、練馬区立学童クラブは、
その条例に基づいて運営されてきました。
学童クラブ数も、「練馬区中期総合計画」(昭和52年)や、
「練馬区長期総合計画」(昭和56年)の「1小学校1学童クラブ 」の設置目標を上回り、
平成2年(1990年)には区内に79か所、入会児童数は2559名までになりました。
平成27年(2015年)には学童クラブ数92か所(民間委託を含む)、
在籍児童数4259人(待機児童数271人=4月1日現在)。
練馬区学童クラブの条例化については、国が昭和49年に発表した
「婦人問題総合調査報告書」(総理府)で、学童保育の制度化を提言し、
請願が国会で採択されているにもかかわらず、国が未だ制度化していない状況の中で、
練馬区では昭和53年(1978年)、当時の田畑健介練馬区長が区議会で
「学童保育事業の条例化」を表明したことが契機となり、学童保育事業がすすみました。
◇学童保育事業を前進させてきた背景に父母と指導員の運動
こうした練馬の学童保育事業が前進してきた背景には、事業に対する行政の姿勢とともに、
それを支え後押ししてきた、父母、指導員の運動がありました。
その運動は、父母は各学童クラブの父母会が中心となって
「練馬区学童保育連絡協議会」を結成(1990年6月には名称を
「練馬学童保育連絡協議会」に改称、以下「練連協」)し、
各父母会が加盟し運動をすすめてきました。また指導員は「練馬区職労児童館分会」
という労働組合に結集し、児童館分会が練連協に団体加盟して、学童保育の全入、
増設運動や独自の研究集会の開催等の運動を、
父母と指導員が協力してすすめる実績を積み重ねてきています。
練馬区の行政が、条例化に対して具体的に足を踏み出したのは、
昭和53年(1978年)11月の区議会で、当時の区長が
「学童保育事業の条例化」に関する答弁が契機となりました。
練連協は議会に請願運動としてとりくみ、
「条例化については、区当局・関係住民・職員労働組合(以下「区職労」)の
三者が十分に協議できる場を早急に設けること」が、採択されました。
◇練馬区学童保育条例の施行
そして昭和57年(1982年)になると、区の内部組織として
「学童クラブ事業検討委員会」が発足し、検討作業に入りました。
それに合わせ、練連協も、区職労と協力して「条例化対策委員会」を設けて、
主旨採択したものを実行するように要望し、
「条例化」三者懇談会がもたれるようになりました。その後9回の三者懇が開催され、
平成2年(1990年)4月に学童クラブ条例は条例化し施行されました。
条例化されたことによって事業としての内容は保障・確立されましたが、
「条例化=有料化」の危惧や、定員に基づく入会基準の運用によっては希望しながらも
待機児が生まれるのではないかといった、
住民にとって障害にならないとは限らない等、不安な声も上がりました。
その後、「条例化」三者懇は発展的に解消しましたが、今後の話し合いの場として
「三者懇」を定期的に開催することを合意し、文書を交わしています。
その後の動きとしては、国も法廷労働時間の短縮(時短)があり、
平成4年(1992年)に職員の週40時間労働への移行に伴って、
第1・第3土曜日に正規職員が一斉に休務し、
臨時職員のみで対応する「土曜学童クラブ」が採用されました。
また、平成5年(1993年)には、事業の見直しということで
「正規職員2名を1名に削減」というものが区から提案されました。
練連協は、区議会へ反対の陳情書を提出し、
それまでにない16万筆を超える署名が集まりました。
区議会の福祉児童保健委員会でも「労使での交渉経過を見守る」、
「住民へのサービス低下につながらないようにすること」等の意見が出され、
区議会での採択もできない状況になり、当初、岩波区長が明言した
「平成6年4月実施」が見送られました。その後、行政内部では
区職労との検討協議会がもたれてきましたが、双方合意に至っていません。
行政は、住民からの働きかけに何ら答えることなく、
平成7年(1995年)11月「行政改革懇談会」を設置、
行政に携わっている”有識者”を住民代表と称して懇談し、提言を出させて、
それをもとに「行政改革計画(案)」を議会に報告しました。
練馬区の学童保育は、発足以来、大局的に見れば一時期までは発展・充実して来ました。
また区民の学童保育への期待もますます大きくなり、
待機児解消と学童保育増設の声となって学童保育事業はすすんできました。
ところが、1990年代以降、国の「行革」「市場化」「民営化」の嵐が
練馬区にも押し寄せてきました。
◇「子ども子育て支援三法」をうけて
平成17年(2005年)からは、新たな行政改革の中で、
学童クラブの民間委託が開始され、平成26年(2014年)現在、
28施設が民間事業者による運営となっています。
一方、増え続ける入会申請に対し、
定員を超えて受け入れ上限を設定して受け入れ枠を拡大しています。
地域間でのアンバランスや入会調整も困難な中で、待機児解消が課題となっています。
受入れ態勢の整備が追いつかない中で、学童クラブをめぐる状況は大きく変化しています。
こうした中で、国は「子ども・子育て支援新制度」の「地域子ども・子育て支援事業」
として「放課後児童健全育成事業」と学童保育を入れました。
ところが、文部科学省が所管する「放課後子ども教室」は新制度に含まれていません。
政府は平成26年(2014年)7月に「放課後子ども総合プラン」を策定し、
その中で2019年までに学童保育定員を30万人増やすとしました。
しかし、小学生の放課後対策には、学童保育と放課後子ども教室があり、
2つの事業は類似し、対象が重複しているとして、政府は両事業の一体化を促し、
その結果、地域によって両事業が統合され、
実質的に学童保育が消滅したところも発生しています。
こうした国の動きを背景にしながら、練馬区では新しく就任した区長のもとで、
区政運営の方向性を示すビジョン(「みどりの風吹くまちビジョン」)を策定し、
学童クラブ事業と学校応援団ひろば事業の
「事業運営を一体的に行う『ねりっこクラブ』を開始」する方針を打ちだしました。
◇「放課後子どもプラン」から「放課後子ども総合プラン」へ
これまで「放課後子どもプラン」と呼ばれる
放課後の児童を対象とした事業がありましたが、
それは文部科学省が所管する「放課後子ども教室推進事業」および
厚生労働省が所管する「放課後児童健全育成事業」を
一体的あるいは連携して実施する施策で、
国が平成19年(2007年)度から実施するとしたものでした。
具体的には、放課後や週末等の子どもたちの適切な遊びや生活の場を確保したり、
小学校の余裕教室などを活用して、地域の方々の参画を得ながら、
学習やスポーツ・文化活動、地域住民との交流活動などの
取り組みを実施したりするものです。
練馬区では、平成20年(2008年)3月に「放課後子どもプラン実施計画」を策定し、
2年間のモデル事業を経て、平成21年(2009)年から
「放課後子どもプラン実施マニュアル」(9月策定)に基づき、本格実施に移りました。
平成16年(2004年)度からはじまっている学校応援団の児童放課後等居場所づくり事業
(通称「ひろば事業」)と学童クラブとの連携を図っていくという内容です。
具体的には、
@居場所の共有(校庭・体育館・図書館・ひろば室・学童クラブ室などを使って遊ぶ)
A遊びのプラグラムの共有(季節行事〔例・七夕〕などを共催行事で行う
B学童クラブ指導員とひろば事業スタッフの連携
(怪我や事故などの問題が生じた場合、協力して問題解決に当たる)
というものです。
平成20年(2008年)1月からモデル事業が始まり、翌年度からは本格実施となり、
学校応援団のひろば事業も平成23年(2011年)度には全小学校で設置されました。
また、学童クラブとひろば事業の連携を図るため、小学校外にある学童クラブは順次、
校内に整備することになり、学校応援団ひろば室との合築施設という形で、
平成21年(2009年)に4施設(大泉北小・春日小・石神井台小・富士見台小)、
平成22年に3施設(田柄第二小・高松小・関町小)、平成23年度に1施設(田柄小)、
平成24年度に3施設(大泉学園小・光が丘第八小・上石神井小)、
平成26年度に1施設(立野小)が整備されました。
これにより、平成24年(2012年)度までに6施設
(北大泉児童館・春日町南地区区民館・田柄地区区民館第二・関町児童館第二
・光が丘児童館・大泉学園地区区民館第二)、
平成26年(2014年)には立野地区区民館内の学童クラブが廃止されました。
◇国の「子ども・子育て支援三法」と「ねりっこクラブ」
平成22年(2012年)、「子ども・子育て支援三法」が制定されました。
これによって、学童保育は市町村が行う「地域子ども・子育て支援事業」
(支援法59条の5)の一つとして位置づけられました。
学童保育は、その充実・発展を願う様々取り組みにより、平成10年(1998年)に
法制化(児童福祉法の中に法制化)されました。子ども子育て支援法では、
「地域子ども・子育て支援事業」の一つとして位置づけられていることから、
父母や指導員等、学童保育関係者の運動が大変重要になっています。
学童保育の待機児は全国で40万人以上と言われるなかで、
政府は平成26年(2014年)7月、「放課後子ども総合プラン」を策定し、
その中で2019年までに学童保育の定員を30万人増やすとしました。
政府が策定した総合プランでは、
学童保育と放課後子ども教室の両事業の一体化を大きく掲げています。
一方、練馬区では新しい区長のもとで「みどりの風吹くまちビジョン」という
区の新しい「ビジョン」が打ち出されました。
その中で練馬区は「ねりっこクラブ」という事業を打ち出しました。
「ねりっこクラブ」は、「『学童クラブ』と『学校応援団ひろば事業』
それぞれの機能や特色を維持しながら、事業運営を一体的に行う」というもので、
平成27年(2015年)6月の区議会第2回定例会で、
「ねりっこクラブ条例」は可決・成立しました。
そして平成27年度にはモデルとして3か所で「ねりっこクラブ」がはじまりました。
実施場所は学童クラブの専用室ではなく、
学校の空き教室をタイムシェアで使うと説明しています。
都内の他の自治体では「全児童対策」の名のもとで、
学童保育が廃止されたところが増えています。
児童のきまった固定集団がきまった指導員のもとで、
子どもたちがほっとできる専用室で過ごせるのが学童保育です。
練馬区の学童保育を守っていくために、まさに今が正念場です。
【参考文献】
・「練馬の学童保育〜条例化の歩み」(練馬学童保育連絡協議会編集・発行、1991年)
・『東京の児童館・学童保育運動』(同編集委員会、2009年)
・『子ども子育て支援ハンドブック』(信山社、2013年)
・全国学童保育連絡協議会『よくわかる放課後子どもプラン』(きょうせい、2007年)
・各年度版「練連協 総会議案」